nikki

日記

おおきな木のスピーカーのある喫茶店

渋谷のラブホ街にある、昭和然とした喫茶店でコーヒーを飲みながら読書をした。

入って一番目を引くのはおおきな木製のスピーカーで、そのスピーカーと音響が売りのクラシック喫茶らしかった。

メニューには『雑談は声の大きさを控えめに』との旨が書いてあった。そんな事を書かれると緊張してしまう。コーヒーが来ても私は一挙手一投足に気を使った。なにしろ「名曲喫茶」と銘をうった喫茶店だし、他のお客はおじいちゃんやおじさんばかりだった。勉強している人もいた。うっかりスプーンとお皿がガチャリと音をたてれば、おそらく彼らから攻撃的な視線や咳払いが飛んでくるに違いないと思った。お客さま、お静かに願います。声の小さい店員さんがぼそぼそと耳打ちする。はい、すみません、と耳を赤くして縮こまるところまで妄想した。腕の芯を意識しすぎて砂糖が零れた。

店員さんがカチャカチャと飲み物を準備する音にようやく緊張がほぐれてくると、周りを見る余裕が出てきた。上には控えめなシャンデリアがあった。二階の席もあるらしい。

正面のおおきなスピーカーの両サイドには、羽が回れば昭和の香りも運んできそうな風体の扇風機があった。夏はこれらが稼働しているんだろうか。

私はクラシックのコンサートには行った事が無いし、積極的にクラシックを聴いたりはしないけれど、音が伸びやかに聞こえる場所で、コーヒーを飲みながら、少し背中を丸めてぼんやりするのはなかなか良い気分だった。

店員さんが曲の初めにタイトルと作曲者などの情報をアナウンスしているけれど、ぼそぼそと尻窄みな調子で喋っていて聞き取れない。壇上に居るのに自信がなさそうなのは面白いと思った。

ぼんやりと暗い店内で自分も同じくらいぼんやりしていた。テーブルを見ると零した砂糖が茶色に艶めいているテーブルの上でキラキラと光っていた。ヘンゼルとグレーテルは夜道に白い小石を落としていたけど、そのアイディアはこんな風にして生まれたのかもしれないと妄想した。ぼんやりしたり、読書をしたりして過ごした。

読んでいた本を読み終わって、柔らかな椅子の座面と自分のお尻が一体化してきた様な気分がしたところで店を出た。

一歩外に出るとやはり外には身も心もギラギラとした若者ばかりがたむろしていて、あのおじいさんやおじさんたちはどこから来ていてどこへ帰るのかなと思った。