nikki

日記

出産の日の日記

不妊治療を経て妊娠、そして、出産したので、出産時の記憶が薄れないうちに書いとこうと思って書きます。

妊娠中の思い出はまた改めて書いておきたい何故ならこれは日記だから。

 

痛い話も出てくるのでそういう話が嫌いな人は読まないほうがいいと思います。

 


出産日前日

おしるし、破水など特になくそのまま入院、妊娠糖尿病により少し早めに計画分娩。硬膜外麻酔テスト、ミニメトロ挿入。

一番最初の麻酔より点滴のほうが痛かった。

ミニメトロを挿入する時の水がはいってくる感覚がわかったので無痛でよかったねと先生に言われる。わたしはビビリかつ痛みに弱い人間。同じような人には無痛分娩をおすすめしたい。(無痛分娩するなら病院はちゃんと選んだほうがいいと思うけど)

 


出産日当日

普段から考えるととても早く起床して身支度。無痛なので麻酔点滴開始。モニタ付け。

診察からのメトロ抜きと破水。破水はおしっこが漏れてるみたいな感覚でなんとなく恥ずかしい気持ちに。排尿と恥ずかしさって分かち難い心の動きなんだなと思う。

先生が処置を30秒ないくらいで高速でして部屋を出ていった、早すぎる。

破水したあとはいつものように暴れなくなった子を少し心配する。

(妊娠中、とてもキックが強く、頭の位置が割と下の方にあったので肋骨を蹴られるようなことはなかったものの、夜中に急に始まるキックの練習には悩まされていた。)

麻酔と促進剤をそれぞれどれだけ効かせるかの兼ね合いというのは難しいものらしい。

麻酔が効きすぎると陣痛が分からなくなるので麻酔を一旦止めて促進剤を増やす。すると、生理痛のような鈍痛を感じる。

今まででマックス痛かった生理痛では救急車で運ばれたこともあるので全然我慢できます、という感じだけど、「おーあー、いででで……」と声に出すくらいの痛みはあったように記憶している。

午前中には子宮口が9センチくらいまで開くものの、そのあとはなかなか進まず。

スリコギ3本分くらいのお通じ的な圧迫感が下半身にあるものの、(急にシモの話してごめんなさい)麻酔が効いているため痛みがない。

いきめそうな感じになったら分娩室へ移動、ということで分娩予備室でいきみの練習するも、狭いところでつっかえてしまってなかなか出てこない。

頑張っていきみチャレンジをすることにして分娩室へ。いきむ時に目を瞑ると目の血管切れるよ!と言われヒーー!と震えながら目を開き声を出さないように堪えながらふんばる。が、出てこない。会陰切開の感覚はあったけど、出すことに必死すぎて気にしている場合ではなかった。

最後はお腹を押しながらの吸引分娩にて出産。ところてんの容器になった気分。頭が出た後は意外とドルゥンと出てくる感触だった。

出産にかかった時間は10時間以上。これは疲れますね。

赤子の頭がつっかえてしまったのは妊娠後期にギュンと体重が増えたからだろうか。クリスマスと正月を挟む出産の場合の体重管理は強い意志が必要。

初めての声かけは「本当に生きてる!(意外となんか)白い!」だった。うわーすごーいと会陰切開を縫合されながら指をツンツンしたりした。

直前までTwitterしてスマホを触っていたので思いっきり触ることが怖くてできず。しかしこれを後悔することになる。

 

 

出産後

なかなか出血が止まらず。輸血、止血処置をするものの、なんと救急車で別の病院へ運ばれることに。

血が出まくっているので当然ながらすごく重い貧血で立っていられなくなる時のあの感覚で意識が遠のく。

雪山で遭難した時の寝たら死ぬぞー!みたいな絵が思い浮かぶ。もしかして私って死ぬのか?と考えるなどした。

止血方法が大量のガーゼを詰め込んで風船で蓋をする、というものだったらしく、鼻血が出たと一緒じゃん、と思う。

キリンさんの身長の二倍(※訂正 記憶が曖昧だったけど今確認したらそんなになかったはず。たしか4メートルだか5メートルくらい入れられた記憶……)くらいのガーゼを詰め込まれる。めちゃ痛い。取る時もめちゃ痛かった。

救急車で運び込まれる前、輸血されながら分娩予備室に戻って支度を整えている時、看護師さんにすごく慌ててる人がいて、かえって冷静になって夫を気遣えるくらいの心の余裕ができた、けど意識がフワフワのホワホワのため細かいことは覚えていない。

最悪死ぬかもしれないからか、気を利かせて看護師さんが搬出される時に赤ちゃんを新生児室から見送りに出してくれた。

その気遣いがありがたいなと思うも、眼鏡がなくてよく見えず。

「待って〜私の赤ちゃん(見せてくれ)……」と声をかけたものの、救急隊員の人はそのままガラガラと私を運んで行くのでめちゃくちゃに悔しかった。

同乗してくれた看護師さんが気を利かせて赤ちゃんの顔の写真を撮ってくれて嬉しかった。処置で大変だろうにありがたいですね。

でも意識が朦朧としてたので正直画像そのものはあんまり覚えてなくて、赤ちゃん生きててよかった〜みたいな感情になったことを覚えている。

救急車で運ばれながら麻酔が切れてきて下半身の痛みが増してきて余裕がなくなり、赤子をろくに抱けなかった悔しさでベソをかき始める。

 

転院先に着いてからの記憶はさらに曖昧。

処置の最中下半身が痛くて遠慮なく泣いて騒ぎまくった結果、翌日は声が枯れて酒焼けしたスナックのママ状態になった。目も3-3←これになった。

CTスキャンとか撮ったらしいんだけど、意識を手放さないようにするだけで精一杯であんまり覚えてない。蒲鉾の中で息止めて〜みたいなことやってた記憶がなんとなくあるから、そうなんだろう。

「いいから輸血持ってこいよ」って先生がキレてるのをぼんやり覚えてる。そんな怒らなくてもと思ったので。

また下半身に鼻血と同じ処置されて泣いた。

(翌朝も取るとき痛くて泣いた。鼻血止めたティッシュ取る時粘膜からパリパリ取る感じになるじゃないですか、あれが下半身である感じ。)

なんだかんだでなんとかなって深夜には容体安定したっぽいけど、疲れてて覚えてない。ICUに入れられたと聞いて、ドラマとかで聞いたことあるやつだ、と思った。

一度目覚めたあとは痛みであんまり眠れなくて、2時から7時くらいまでずっと考え事してた。

生きていることって全然当たり前じゃないんだな〜、人間ってこうやって生まれたり死んだりするんだな〜、などとまさに身をもって体験した。他人にすごく優しくなれる気持ちになった。

私は不妊治療を開始するまで手術は全くしたことがなくて、大きな怪我もしたことがなかったから、少し大袈裟に感じている可能性もあるけれど、なんかこう、人間がこんなふうに生まれてくる以上命ってめちゃくちゃ尊いのでは、そしてその誰かにとっては尊い命である他人に対して、今まで私は失礼な態度を取ることがあったし、改める必要があるよな、とかそういうことを考えて朝を迎えた。

絶対安静というのは初めてで、ICUっていうところは意外と現場で働く人の声は騒がしくて、でも患者のベッド側の空気はどうしても重くて、独特だった。通常の病棟にいる時よりも、パンパンに膨らんだ風船みたいな緊張感のある雰囲気で、眠りたくてもその空気感と痛みとで全然寝付けなかった。体を動かさないから腰が痛くなってくるし。

 

ICUで入院生活を送って貧血がそれなりに数値が回復したので再度産院へ戻った。

夫は本来ならしなくて良い荷物の移動をさせられてかわいそうだった。申し訳ない。

数値がマシになったとは言ってもまあボロボロで少し歩いただけで気持ち悪くなるレベルだった。

ちなみに自分が死ぬかと思って広くなった心は、転院先から出るときに病院の入り口前でタバコ吸うおっさんに遭遇してすぐこう🤬🤬🤬なってしまったので、私の徳めっちゃ低かったな。

 

保険の諸々の請求のために同意書などを含めた入院中の書類を確認していると、どうやら最悪子宮全摘出もあり得たらしくて、強すぎる生理痛や不妊に散々悩まされてきたけれど、こんな形で決着が知らないところで着く可能性もあったんだなと思うと、知らないより知ってた方がいいからそうならなくてよかったな、などと思う。


血がいっぱいでるのもICUに入るのも初めてだったから、折角なのでブログの記事にしようかなと思ったので、した。